ネットがもたらす痛み、寂しさ、孤独感

Twitterはフォローするフォローされるというシステムを採用している。またリムーブ、ブロックという機能もあるのがTwitterである。


あるTwitterユーザから親しくリプライを飛ばしあっていたのに、突然リムーブ、ブロックされてすごくショックを受けたという話を聞いた。


それもそうかもしれない。お互いフォローしてリプライもしあっていて、それなのに突然リムーブ。しかもブロック。どうしてだろうと思うだろう。


Twitterの場合、いつのまにかフォローがはずれているということはある。いきなり片想い状態になることはたまにあるが、今回の場合、ブロックされてしまっているらしい。


リムーブ、ブロックされた側としては、やはりあれこれ考えてしまう。
「寂しい」とそのTwitterユーザは言っていた。
喪失感と言えばおおげさかもしれないけれど、今までおそらくは毎日のようにリプライしあっていたのに、それがいきなり拒否されたとなると、やはりショックだろう。


何が原因かはわからない。
言葉の行き違いか何か。
他のTwitterユーザから何か言われたか。
推測、憶測しかできない。



ネットにおけるつながり感とか孤独感とか』という記事も書いたけれど、つながりを求めようとして、つながれないとき、やはり感じるのは寂しさであり孤独感だったりするのだと思う。


相手にされないつらさというのはある。
会ったことも顔も見たこともない相手だったとしても、毎日Twitter上で顔を合わせ、リプライを交わしあうようになれば自然と親近感もわいてくるものだと思う。そういった相手とのつながりが相手によって突然切られたとき、平静ではいられないのが一般的だろう。


人間関係もそうだけれど、うまくいっているときはいい。しかし、うまくいかなくなったとき、つまりぎくしゃくしたり、トラブルが起きたりしたとき、悩み苦しむのは人間で、どうにかしようと焦りもがくものだったりする。あるいは、そういった状況がイヤで逃げ出す場合もあったりする。相手との関係を断ってしまうと、確かにある意味逃げられるかもしれないが、双方がダメージを受けるというのは避けられないように思う。逃げた側も一見楽になったかのように見えるけれど、やはりダメージは受けていると思う。おそらくは逃げたところで後味は悪いであろうし、あとから後悔することもあるかもしれない。逃げるしかなかったという場合もあるだろう。


逃げることを否定するわけでも賛美するわけでもないけれど、わたしとしてはいきなりリムーブ、ブロックなどということはせず、ちょっとした距離感を持ってつきあっていくということも選択枝としてあってよいのではないかと思う。Twitterの場合、リプライは必ずしなければいけないというわけではないし、あいさつもしてもしなくてもいい。


もしかしたら、リムーブ、ブロックした側はもうフォローされて発言を見られるのもイヤだという心境なのかもしれない。それはそれで悲しいように思う。


相手からひどく傷つけられたとかひどく怒らせるようなことを言ったとか、そういう場合もあるだろう。それならそれで、そのことを相手に伝えたほうがよいと思う。なんでそんなことを言うのか、傷ついた。○○○と言ったことについて私は怒っている。不愉快に思っている、と。そういう表明はしてもいい。そう、できるだけ感情的にならず、事実を相手に伝える。案外相手のほうは、気づいていなかったりする。相手を傷つけるような発言をしていたとか、実は相手を怒らせていたとか、言われて初めて気づく場合が多かったりする。


自分の気持ちの表明。そういうことすらめんどくさいし、わざわざしたくないしという人もいるだろう。つながりの簡素化、ドライ化、クリックひとつでつながりを切れるのがネットの世界だ。アカウントの削除もしかり。クリックひとつで、つながりが切れてしまうのは、なんともせつなくやるせないように思う。


ネットがもたらすものは面白いこと楽しいことそればかりではなく、痛みを運んでくることもある。寂しさや孤独感を感じることもある。


地方在住でオフ会等参加したくても参加できず、指をくわえて見ているのがつらいと言っていた人も知っている。

なんかオレ、孤独感の塊(かたまり)になってるんだよ。ど田舎で。

彼はオフ会のオの字も見たくないので、そういった情報は自らシャットアウトしているらしい。



ネットがもたらす痛み、寂しさ、孤独感。
それらを感じたとしても恥じる必要はなく、誰でも感じうるもので、むしろそういった痛み、寂しさ、孤独感を感じて得られるものがそこにはあるはずで、つまりは、そういった経験をすることによって成長する部分というのはあるように思う


痛みや寂しさ、孤独を知って強くなれるというのはあると思う。
また優しくなれると思う。


淡々とネットを使うという方法もある。
距離感を持って使うというやり方もある。
どういう使い方をするかは自分次第だと思う。


ただ、できればネットが原因で、ネットという曖昧で不確かなツールが原因で泣いたり傷ついたりする人が生まれないとよいなと思う。言葉もネットも人を傷つけるために生まれたわけではないと思うから。