ネット。誰もが発信し続けられる世界であってほしい。

1.評価されることに慣れてない人たち

多くの人に見られて評価されることに戸惑う。それは多くの人に少なからずあるのではないでしょうか。
ブログの記事をニュースサイト等にとりあげられて、普段よりも多くの人に見られ、まぁだいたいはサイレントマジョリティながらも、なんらかの感想とか感じを持ったとして、それはわたしの操作範囲外のものだったりするのですけれど、そうですね、

評価や反応がこわい

というのはあります。
わたしは「評価は気にしなくていい」とよく言ってますが、やはり気になるわけで、
そうですね、

評価されることに慣れていない

のだと思います。


ええ、わたしもそうですが、評価されることに慣れていない人というのはいるわけで、慣れていないがゆえに、評価に過剰に反応してしまうことあります。


評価というのは、批判といったものも評価ですし、まぁいわばマイナスの評価をこわがり、こわいがゆえに書いたものを表に出せないというのはあったりします。


経験値を積み、ああ、こういうことを書けば叩かれるだろうな、反対意見が出てくるだろうなというのは感覚的にわかってくるようになりますが、うーん、たとえ反対意見、批判等が出てきたとしても、自分の考えを貫きとおせるかどうか、そこは個人差がかなりあるところだと思います。


批判的なコメントを目の当たりにすると、怯んでしまうというのはあると思います。自分が言っていることは間違ってはいないと思うけれど、あまりにも多数の批判的コメントが押し寄せてくると、逃げたくなると思います。記事を削除したり、そうですね、ブログ自体閉鎖してしまうというケースもいくつも見てきました。


多くの人に見られているという感覚はいつも持っておくべきで、こうして文章を書いて公開するということは、それなりに反応されることも批判されることもあるのだと前もって考慮しておきべきで、そうなると、反応(批判)がこわくて書けないという事態に陥ってしまったり……なかなか難しいですね。


2.評価の必要性について

そうですね、「評価なんか必要ない」とそう思っているわけではないです。誰もがサイレントで何も言わなくなってしまったら、なんていうのかな、書いている方も手ごたえがなさすぎますし、「無反応=スルー」的な感じでつまらないというか寂しいというか、まぁあれこれ書いてもどうせ誰も何も言ってこないしなー的な心境になって、それなら書かなくてもいいやとなってしまいそうですよね。そうですね、スルーされることによる疎外感というのはあると思います。「アウトオブ眼中」というか、「オマエのブログなんか眼中にもないよ。読む気もしない」と。(まぁそこまでいくと被害妄想的になってしまうかな?)そうですね、評価のうち、褒める、プラスの評価というのは、もっともっと表にあらわれていいと思います。なかなか褒めることができないというか、いいと思っても思うだけで表に出さないこと多いと思います。もっと褒めていいとそう思います。


評価といったある程度の刺激、反応は必要で、はてスタやはてブは敷居も低くて案外よいものなんじゃないかなと思います。評価されることでモチベーションがあがって、さらによいものが生まれるというのはあると思います。批判したり異論を唱えるのなら、その理由を述べるべきで、やみくもなdisりは意味がないし、取り合う必要もないと思っています。


批判されるのがこわいからネガコメが来たら嫌だから、そう思って書けない書くのがこわいという人はいると思います。
批判もそれはその人のひとつの考えにすぎず、批判する人はどんなことに対しても批判しますし、考えを押し通そうとします。我が強い人はいますし、老獪な人もいます。それはその人のスタンスなのだと思うようにしてます。
他者のスタンスや長い年月を経て身につけた考え方というのはなかなか変えられないもので、それをどうにか変えようと外側からするのは容易なことではないと思います。まぁ年をとると共に頑固になっていくのは一般的によく言われることですし、つい自分の考え方に固執してしまいがちで、融通がきかなくなるというか、まぁ気をつけたいですね。素直さというのはいくつになっても忘れたくないと思います。


3.自分のペースでネットライフを送る

書くことで出てくるリスクをどうするか、『リスクを恐れずに書きたいことを書きましょう』と簡単に言いたくないですし、ただ、長いことネットしていて*1思うのは、んー、ある程度の鈍感さは必要かなと。細かいことを気にしないというか。ネットの荒波をぐいぐい泳いでいる人いらっしゃいますね。他を気にせずのんびり浮かんでいる人もいますし、風にまかせて漂っている人も。まぁそれでいいんじゃないかと思います。それぞれのペースで。誰もが競泳選手並に泳げるわけでもないですし、まぁ速く泳ぎたい人は泳げばいいし、波打ち際で出たり入ったり遊んでいるだけでも楽しいですし。


ネットで疲れてしまって、精神的に消耗しちゃうのはどうかと思うのです。ネットはあくまでもツールであり、ネットで自分の首を絞めるっていうのかな、ネットをしているがゆえに苦しくなるくらいなら離れたほうがいいと思います。いつでも離れられるのがネットで、またいつでも戻ってこれるのもネットです。
まぁ、わたしの性格なのかもしれませんけれど、ゆるーくながーく続けていきたいというのがあって、「ネット=楽しむためのもの、自分にプラスになるために使うもの」なのですよね。ネットでお金を稼ごうとかネットで有名になろうとかそういうのはないです。


自分のペースで楽しいネットライフをという感じですね。

4.有名無名にかかわらず発信できるということ

ネットが新聞やテレビや雑誌とはちがって面白いなぁと思うのは、なんていうのかなTwitterは特にそうですけれど、リアルに存在する人の今の声、つぶやきが見えるってことですね。


可視化されたそれは、本当にいろいろで、考えさせられることも多いです。
どうしても自分中心で物ごとを考えてしまいがちで、狭い世界しか見えていない。いろんなタイムラインがあって、そしていろんな人がいて世界は成り立っているんだと、ええ気づかされるわけで、世の中いろんな人がいるんだなぁと……。とはいえ、わたしが見ているのはこのディスプレイの窓からちょっとだけなんですよね。


わたしの書いたものが届く範囲ってものすごく狭くて、まぁそれでいいと思ってます。
狭くてもそれでもとにかく発信できるっていうのがいいのだと思います。


ネットというのは、有名無名にかかわらず発信できるのがよいところで、誰でも発信できる場所であってほしいとそう思います。

*1:komokoのハンドルネームではまだ短いですが、それ以前にちがうHNで活動していました。ネット歴は13年以上あります。