どこで暮らすかは運命?

朝起きてコーヒー飲みながら読書していたのですよね。

「どこで暮らすかは運命」

という文章を偶然見つけ、ふああああーと脳内の思考回路が一気に活性化したGW3日目。今日から5月なんだね、そろそろ本気出したいなとか思ったり。


まぁ

大人になったら、自由に住むところを選べるか、住みたい場所に引っ越せるか。

という命題(?)に対して
わたしとしては

「自由に住むとこを選べる」
「住みたい場所に引っ越せる」

と思ってました。(過去形)
まぁ引っ越すには住む家とか引越費用とかお金はかかるわけですけれども、金銭的な面ががクリアできれば、住みたいところに住めるものはないかと。


で、実際はというと、

住みたいところに住めるもんでもないのかな

と。
仕事とか家族とか元々住んでいた場所に縛られるというか、いろいろな関係で無理と言う場合もあるだろうなぁと。


知人は今親と一緒に住んでいて住んでいて、一度は別の県に結婚で引っ越して、でもですね、どうしてもその県(その土地)に慣れなくて、やはり生まれ育った福岡がいい、友達もたくさんいる福岡がいい、ということで戻ってきてしまったのですよね。
引越し先でも友達ができたり、仕事をしたりでいろんなつながりができれば、まだその県でやっていけたのかもしれないけれど、大人になってから見知らぬ土地でやっていくのはつらかったのかな、と。
旦那さんがいるとはいえ、日中は仕事に行っているだろうし、ひとりで過ごす時間が孤独の時間になってしまったというのは、まぁ考えられることで、旦那さんは仕事があるので、別居という形になっているみたいです。(別居というより旦那さんの単身赴任という形になるのかな?)


やっぱり住み慣れた場所というのはあって、そこを離れたくないというのはあると思うのですよね。
新しい見知らぬ場所はわくわくするけれど、そこに飛び込んでいくには勇気が必要。エネルギーも。
引越し自体すごくエネルギーを必要とすることですし。
慣れない土地での一からの生活は、やっぱり精神的負担がないわけじゃない。まぁ周りに助けてくれる人や友達、知り合いがいると心強いのですけれども。


基本的には住み慣れた場所に住むのが楽。
とはいえ、ずっと住み慣れた場所に住み続けられるかといえば、そういうわけでもなくて、最近でいえば、地震被災して避難しないといけなくなったり、あるいは転勤で引越しを余儀なくされたり、住みたい場所に住める、住み続けられるとは限らないというのが現実なのかなぁと。


そう考えると、どこで暮らすかは運命なのかなぁ、みたいなことをほわーっと考えてみたり・・・


これはTwitterでもつぶやいたのですけれど、
http://twitter.com/#!/komoko/status/64461144273862656

自分の理想とはちがう現状に今の自分が置かれているとして、それについて「運命だから仕方がない」的に、運命のせいにするというのは、ある意味楽なのかな、と思ったり・・・

「運が悪いから仕方ない」と運のせいにすることであきらめられるとか自分を納得させるという感じなのかなぁ

とか。


「運命だから受け入れる」という人もいれば、運命という抗いがたいものがあるのかもしれないけれど、そのせいにして逃げたくないとか、希望は絶対捨てないとか、そういうスタンスの人もいるだろうなぁと。


で、いさぎよく受け入れるか抗うかはまぁ人それぞれだろうなぁと。


抗う場合やはりエネルギーが必要で、若い時はまだエネルギーもあるし、バッテリー(体力)もしっかりしてるしで、そちらのほうを(抗う方)を選ぶかもしれないけれど、年をとってくるとやはり体力もなくなってくるし、疲れやすくなったり、いまさら新しいことをしたくないという(億劫だ)という気持ちもあったりで、「こういう運命だったんだよ」と受け入れる方向にいきやすくなるのかな、と思ったり。


まぁ、運命を受け入れた上で、それでも少しでも心地よく暮らせるようにするというのは可能だと思うのですけれども。
どこに住んでもやはり楽しいこと嬉しいこと心を和ませるようなことは可能で、自分を楽しくできるのはやはり自分自身。楽しみは自分で見つけるのがいちばんいいんじゃないかとそう思ったり。自分に合う楽しみ、楽しいことを見つけるという感じで。

運命だから仕方ない。
受け入れるしか。

というスタンスでいくか

運命のせいにしたくない。
未来は自分で切り開くんだ。

というようなスタンスでいくか
あるいは、

暮らす場所と運命は関係ない。
暮らす場所が変えられるように運命も変えられるんだ。

と考えるか。
まぁそれぞれかなぁ。